モーツァルト ADHDだった?ー神童であり、奇人であった生涯

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はじめに

モーツァルトは、古典派音楽の時代に活躍した作曲家です。
「アイネクライネナハトムジーク」や「トルコ行進曲」など、モーツァルトの曲は現在でも親しまれていて、誰もが1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

その神がかり的な才能と、本人の人間性や逸話にはかなりのギャップがあります。
今回は彼の生涯やエピソードを紹介していきます。

神童と呼ばれた幼少期

ヴァイオリン奏者の父、レオポルトのもとに生まれたモーツァルトは、父の音楽の英才教育の基に幼いころから才能を開花させ、4歳から演奏活動、5歳から作曲活動を始め、「神童」として高い評価を受けます。

奇行や問題行動は数知れず

「神童」「天才」のエピソードも桁外れなのですが、その人物、モーツァルトはどんな人物だったのか?と辿ってみると、「あらら」と眉をしかめたくなるエピソードがどんどん出てきます。

・6歳の頃、マリー・アントワネットに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげるよ」と上から発言
・スカートめくりが好きだった
・下ネタの手紙が死後、山のように出てきた(お尻、うんち、の連呼

等など。

膨大な作品数とジャンルの広さ

35歳で生涯を終えるまで、断片を含めると900曲近くもの曲を作曲しました。
これは、彼の生涯を考えるとかなり多作な印象です。
彼の内側から湧き上がってくる音楽は、オーケストラ全部の音が同時に聞こえてきていたとも言われています。
音を生み出す苦悩より、楽譜に書き起こす方が大変だったような逸話も映画「アマデウス」に盛り込まれています。

更にすごいのは、
すべてのジャンル

・オペラ
・教会音楽
・歌曲
・交響曲
・協奏曲
・室内楽
・ピアノ曲

を網羅し、その全てで傑作と言われる作品を遺しています。

成功し、名声もあったのに借金生活

音楽家の中には、生きている時代には作品が評価されず、死後にようやく作品が評価され、音楽史に刻まれている作曲家もいます。(シューベルトなど)
モーツァルトは子どもの頃から存在を認められ、宮廷音楽家として仕えていたり、パトロンがいたり、生きている時代のリアルタイムでも異次元の評価を受けていて成功していたのですがその一方で、妻コンスタンツェと共に高級志向が手放せず、非常に浪費家であったため、借金に追われた生活をしていました。
宮廷音楽家という安定したポジションも、大司教と険悪になり、自由でいたいとの考えで25歳でやめています。
30代になってからの作曲活動は、借金返済に回されていたと言われています。

35歳で夭折、未完成の「レクイエム」

死亡理由はいろんな説がありますが、35歳という若さで、モーツァルトは亡くなりました
彼の最期の時に執筆していたのが「レクイエム」(鎮魂歌)
謎の「黒衣の依頼人」から依頼を受けたという逸話が残っています。

「これは自分自身の葬儀のためのものだ」

と、病の中で最後の情熱をかけて書いていましたが、未完のまま、彼はこの世を去りました。

偉大な功績はあったものの、亡くなる頃のモーツァルトは経済状態が非常に苦しく、個人で埋葬する余裕がなかったため、社会的身分が低い人と同じ扱いで、共同墓地での埋葬となりました。

今もモーツァルトの眠っている場所は、誰にもわかりません

今でいうADHDだったのでは?

モーツァルトの遺されたエピソードを聞いて、「もしかして彼はADHDだったのでは?」と私は感じるのです。

場に沿った行動がとれない
・落ち着きがない

好きな事に対しては常人には理解できないほどのパフォーマンスをする
極端な浪費癖、借金してまでつかってしまう
人間関係を衝動的な発言で壊してしま

等など。

まとめ

モーツァルトは天才でありながら、人間らしい弱さや奇行も多く遺した人物です。しかし、その全てが彼の音楽の自由さや朗らかさに結びついています。

モーツァルトは、音楽家としての天性の才能がありながらも、完璧な人間ではなかったことが、ギャップや親しみやすさという魅力になり、300年たった今でも多くの人に愛され続けているのでしょう。

※本文中の肖像画はWikipedia Commons(パブリックドメインより)

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