商品の背景を理解する

思考、メンタルヘルス、生き方

はじめに

衣類でも、食品でも、驚くほど安いものがたくさんあります。
消費者としては、そのような商品があることはとてもありがたいし、家計の中ではなるべく安いものを上手に取り入れて暮らしていきたい―そう思うのは自然なことです。

けれど、その安さが企業努力だけで成り立っているのではなく、誰かの犠牲の上にあるものだとしたら…。

知ること
意識すること

それだけで、私たちの選択や感じ方が少しずつ変わるかもしれません。

この記事ではそんな「安さの裏にある背景」を、一緒に旅をするようにたどってみたいと思うます。

チョコレートは何故安い?

しかし、その価格で提供されているということは、どこかで悲しい思いをしている人がいるという現実があります。

例えば、チョコレートMの原料であるカカオは本来はとても希少価値で高価なもので、薬のような特別なものであったと言います。
それが私たちが気軽に食べれる価格で提供されているのは、ガーナやコートジボアールという、カカオの主要国で、子どもたちが学業ではなく労働に従事させられている「児童労働」という背景があります。

私たちが当然の権利として受けている「教育」を受ける機会が奪われ、5歳ほどの子どもから、カカオ収穫を始め、その他の労働で貧困状態のの家庭を支えているのです。

児童労働は、国際問題にもなっており、「減らす・改善する努力」は進んでいますが、、需要と供給が続く限り、問題解決はまだ先の様です。

服の安さはどこからきている?

日本の大手衣類企業が初めて出店したときは、価格の安さに驚いたものです。

アパレル業界に革新を起こしたこの会社は、低価格でシンプルでありながら、粗悪品ではない。
ブランドと葉、好みによって所有するのに偏りがありそうですが、このシンプルさと低価格で、誰もが数着はもっているであろう、日本人の生活に欠かせないブランドになっていると思います。

その後、その価格に違和感が無くなるほど、低価格で流通するアパレルブランドが増えていきました。赤ちゃんや子供のように、成長が早く何度も服を買い替えなきゃいけない消費者にとっては、このような企業は家計に優しく、とてもありがたい存在です。

ただ、なぜその安さで流通しているのかという背景を見てみると、本来かけられる人件費をかけずに過酷な状況でその労働に値する対価を与えられずに搾取されている人が縫製などに従事している実態があります。

そのような企業のタグを見ると、「メイドインチャイナ」とされていることが多いです。
中国製が品質が悪い、ということはありません、その「メイドインチャイナ」中には、安さを支える厳しい労働環境が含まれている場合があるのです。

ウイグル自治区の人権問題

中国という広大な土地の中にはいろんな民族が混在しています。
その中でも、国際人権団体や国連が大きな人権侵害が起きていると問題視しているのが新疆ウイグル自治区です。

ウイグル人をテロ対策などを理由に拘留し、故郷からはるか数千km離れた沿岸の工場に繊維工場や電子機器、水産加工品などのの製造現場で強制労働のような形で労働させているという実態が明るみになっています。多くの工場がある中で、日本企業の縫製工場もその中に含まれていると、報告書に上がっています。

その労働には対価というものが発生せず、人間の健康状態を守るための労働時間というものも存在せず、最低限の睡眠時間以外は、自由もなくただひたすらに無償、または著しい低賃金で労働をさせられるという過酷な状況がまかり通っています。

企業側も事実は把握しながらも、人件費のない製造は企業にメリットしかなく、表面的にはつながりを隠しながら企業利益を上げている。
これが1つめの安さのからくりです。

農民工という存在

もう一つ、中国には国内に見えない階級差別が存在します。
それが「農民工」と呼ばれる人たちです。

この背景には、中国という国の持つ特殊性があります。

中国は、農村部と都市部があります。
農村部と都市部は、同じ国かと思う位に貧農の差があります。2022年の調査では、収入が2.6倍という調査結果が出ています。

働けど働けど、農村部の生活は楽になることはなく、一方の都市部に戸籍を持つ人たちは、共産主義の国であることに違和感を感じるほどに富を追求し、大富豪になれるチャンスがたくさんあります。

この生活の格差に絶望し、都市部に一発逆転のチャンスを求めて、農村部から流入してくる人、出稼ぎをしに来る人がたくさんいるのです。その数は中国経済を動かすほどです。

彼らは農村の戸籍を持ったまま、都市部で働いていますが、都市部の出自の人と同じ待遇では働けません。
戸籍制度の仕組みによって、賃金格差が生まれ、都市労働者よりも低い賃金で働かされる構造が続いています。
新疆ウイグル自治区の問題と葉違い、自発的にこの場所に来て、自分からその仕事を選んでいるので、人権侵害とはまた違うものではありますが、この安い労働力の農民工の存在は、中国経済を動かすほど数も多く、衣類に限りませんが、中国製の商品が安さで勝負できるのは、この「安い労働力の立場」を甘んじて受け入れている農民工の存在も大きいです。

賃金の安さだけでなく、鳥かごのような環境の狭いアパートに、すし詰めになって共同生活をしていたり、年金も受けれない制度や国民の差別意識など、色々な不満、やりきれなさを抱えながら今日も暮らしています。

畜産動物への命の軽視

畜産にも、コスト削減のために畜産牛に与えたエサによって、世界中がパニックになった出来事がありました。

狂牛病という人間が作り出した病気

2000年代初頭、畜産用の牛の脳がスポンジ状態に変性する「牛海綿状脳症」という症状、通称「狂牛病」が世界的に流行し、人間に感染した場合、「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」という病気になる、と世界中がパニックになりました。

原因は、牛のエサに同じ種族である牛や羊の脳や脊髄の肉骨粉を混ぜて与えていたことが原因でした。
本来は、牛は草のみを食べる生き物で、同じ種の肉や骨を食べるという性質はありません。

そんな牛に、なぜ肉骨粉を与えたのか?

それは、飼料として安く、成長促進効果が期待できたから。

人間側の、低コストで済ませたい思いが意図せず「共食い」の状況を作り出しました。本来の何を食べて育つ動物かを考えずに、生産性を重視した人間のエゴが生み出した人災による病気でした。

その過去の経験があってもなお、海外の畜産現場では、本来の命の形に逆らった飼育をしているところもあります。

アメリカの牛肉は何故安い?

海外から輸入された牛肉は、国産の牛より安いと、スーパーで感じる人も多いと思います。

一方、日本の牛肉は、特定のブランド牛でなくても、品質は安定しており、カットされた肉の見た目も違います。それは牛の本来の形を大切にして、牧草や穀物で育て、本来の成長に合わせ出荷しているから。本来の命の在り方に合わせ、酪農に携わる人たちが皆、必要なコストはかけて誠実に育てているからです。

安いと感じるアメリカやカナダ産の牛肉の背景はどうなっているのでしょうか?

コストをどこまで削減できるかに重きを置き、エサは、低コストで賄える遺伝子組み換えで作られたとうもろこし粉や大豆粉を飼料にしています。

そして、成長ホルモンを投与して、少しでも早く成長させ、出荷するということが一般的に行われています。

この遺伝子組み換えの飼料や、成長ホルモンを投与された牛を食べる事に関して、今は健康被害の報告は出ていませんが、人間のエゴで本来の形を変えて育てる事に、どういう危険が潜んでいるのかは未知数です。

狂牛病と同じ轍を踏まないことを祈るばかりです。

野菜神話の整合性

逆に、先入観より実際は危険ではないものもあります。

私が思うその一つが「中国産の野菜」です。
スーパーや冷凍食品で、中国産の表記のものは「何か体に悪い気がする」と敬遠する、という人も多いと思います。

果たしてそれは事実なのでしょうか?

中国野菜は体に悪い?

私たちが中国産を敬遠するのには、過去のニュースがあると思います。
過去に、冷凍ほうれん草から基準を超えた残留農薬が検出されたことがありました。
そして同じ頃に、日本の企業が中国の工場で製作していた冷凍餃子に「メタミドホス」という農薬が検出されました。これは、現地の従業員が意図的に混入したと見られています。
この2つの出来事から「中国産の食品は怖い」という流れが一気に加速しました。
その頃の先入観がいまだに拭えずに残っていることも大きいと思います。

たしかに以前の中国では、日本の規準を越える農薬を使用されていたり、発色目的での薬も使われていたようです。

現在も、中国には残留農薬、工場排水での重金属汚染など、全くクリアなわけではないですが、中国国内でも食の安全に対する認識が変わり、農薬の使用方法も変化したようです。
更に日本は輸入に当たり、厳しい基準を設けており、日本に入ってくる冷凍を含む野菜は、規定された基準値以内におさまっており、食卓から避けるほどの安全性の低い野菜は流通していないようです。

農薬を使うのはいけないこと?

もう一つ、

野菜や果物を食べる時は無農薬のものを食べたい
農薬のついたものは、体に悪い気がする

という感覚を持っている人も多いかと思います。

私は農家ではありませんが、山形で暮らしていると、果樹園や田んぼが身近にあります。周りには農業に携わる人も多く、出荷時期まで作物を大切に守っている姿をよく見かけます。

「うちは無農薬です」という農家さんはほとんどおらず、皆が必要な時に農薬を使って、虫や病気から作物を守っています。

道の駅などで、とれたてのみずみずしい野菜を見ると「手間や労力をかけて、ここまで育ててくれたんだな」という気持ちになります。

基準値以上の農薬は、確かに体に悪影響があるかもしれません。しかし、国産の農家の野菜は、人間の健康を意識し、「虫をつけない」ことだけを目的とした(他国の農薬は発色のためのものもあった)、厳しい基準値をクリアしたものです。

農薬をむやみに「悪」ととらえずに、「皮をむく」「しっかり水洗いする」などで対策し、自分なりの解決を見つけられるのがベストと、私は思います。

まとめ

知ることは、誰かを傷つけるためのものではなく、自分の中に「気づき」をともすことだと思います。
たとえ今すぐ何かを変えられなくても、知ろうとする姿勢そのものが、悲しみを減らす小さな一歩になります。

次の記事では、こうした不均衡を少しでも解決しようとしている企業や商品、命や環境に誠実に向き合っている取り組みをご紹介します。

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